FUJIKURA ODYSSEY vol.03 神様からの贈り物 フジクライズムの象徴“極低損失光ファイバ”開発物語 Phase.4 主導的立場へ マルチモードに続き、シングルモードでも、フジクラ方式の光ファイバケーブルが本格採用へ。実用化計画において主導的役割を果たす。 フジクラによる業界をリードする様々な研究開発成果を受けて、いよいよ電電公社による光ファイバ実用化計画が動き出す。1976年10月の横須賀通研における第一次所内総合実験を皮切りに、1978年3月には東京で中距離用GI型光ファイバケーブル第一次現場試験が行われる。当初は各社独自のファイバ構造、ケーブル構造を提案したが、試験によりフジクラの提案がことごとく好結果を生んだことから、1979年7月、フジクラ型に統一される。1980年1月の第2次現場試験は、各社がフジクラ型のケーブルをつくり、その機能性を確かめるために行われたものである。その後、1980年12月の最終段階としての商用試験を経て、遂には1982年11月、フジクラ方式によるGI型光ファイバケーブル(マルチモード・中容量伝送方式)は、本格採用となる。 一方、長距離・大容量伝送のためのSM(シングルモード)型光ファイバの現場試験も、GI型を追う形で1980年10月に行われた。SM型の場合、特に接続に高度な技術を要する。そこでフジクラは、コアの部分の軸合わせについて開発を進め、融着接続装置の試作機を完成。その後も改良を重ね、自動調心融着接続装置、コア直視型接続装置の開発など、この領域でも独走態勢を整え、世界シェアNo.1の座を獲得する。さらに1985年に始まったINS(高度情報通信システム)計画における全国縦貫光ファイバケーブル網プロジェクトでも主導的役割を果たす。 1 2 3 4 5