FUJIKURA ODYSSEY vol.03 神様からの贈り物 フジクライズムの象徴“極低損失光ファイバ”開発物語 Phase.3 フジクラ・ラッシュ 理論的限界に近づく極低損失ファイバの完成。あの天下のベル研でさえ「神様からの贈り物」と讚え、その奇跡的成果に脱帽する。 フジクラによる「0.47dB/kmの極低損失光ファイバ」の開発に世界の研究者がフジクラを訪れる。このフジクラ詣により、労せずして世界中の最先端情報がどんどん集まる。かくしてフジクラの研究陣の頭上に「技術の神様」が舞い降りたかのように、研究開発に勢いがつく。そしてさらなる追い風が吹き始めるのである。 まずは「シリコン緩衝層付き光ファイバ」の開発で、実用化への弾みをつける。これは電電公社の標準仕様になると共に国際的にも広く使用されるようになる。続いて低損失光ファイバの理論的裏付けを「損失要因の解明についての論文」として発表(1976年12月)。当時、ファイバについて多くの人々の間に誤解があった。ロスが低下しないのは不純物が多いからではないか、もっと良質の材料を使用すればロスは減るのではないか……というのが常識的な理解であった。しかし、そればかりではなく、ロスを減らすのは線引きの問題とか構造の問題、つまり「ファイバの製造方法」でも決まるのだということを証明し、それをわかりやすく知る方法を発表したのである。この論文はその後の光ファイバの進化に多大な貢献を果たすことになる。世界中の学会からも招待講演の依頼が相次ぎ、「フジクラ理論&メソッド」は引く手あまたのモテモテぶりだった。 VADこうしてフジクラの世界的成果は、電電公社との共同研究にも弾みをつける。そろそろベル研の方法(MCVD法)から脱却し、日本独自の製造方法を確立しよう!という気運が高まり、それがそのまま共同研究のテーマに据えられた。そして1977年3月、VAD法(気相軸付け法)の開発に成功する。このVAD法は、経済的有利な方法だったが、残留する水酸基の量がMCVD法より多く、損失も大きいことが予測された。したがって水を抜くことが最大のブレークスルーポイントとされた。 VAD法による「水抜き」でもフジクラは、実力を発揮。ほとんど完全に脱水する方法を開発し、特許を取得し、実際にもほとんど水を含まないファイバを発表した。さらには「ファイバが周囲の環境に対して安定した性能を維持するにはどうしたらいいか……言い換えればファイバはどういう状況で弱くなるのか、ロスが増えるのか」等々の研究においてもフジクラは先行し、その成果の証として「ピアノ線入りユニットケーブル」を開発。これが翌1978年から始まる電電公社の現場試験で大いに威力を発揮することになる。 1 2 3 4 5