FUJIKURA ODYSSEY vol.03 神様からの贈り物 フジクライズムの象徴“極低損失光ファイバ”開発物語 Phase.1 秘めたる想い 誰もが危機感を抱いた。しかしそれ以上に社会的使命感、そして何より“勝ちたい!”というシンプルな想いがあった。 「ライバルに勝ちたい!」というシンプルな想い。その想いを貫き、世界一の実績を残した人々がいる。光ファイバの開発に寝食を忘れるほどの強い意志力で挑み、フジクラのその後の歴史を支えた面々である。フジクラの光ファイバへの取り組みは、1970年に始まる。当時、光ファイバの実用化への鍵は、米国コーニング・グラス・ワークスとベル研究所が握っていた。まず、1970年にコーニング社が、20dB/km(1kmあたり20デシベル)という、光の伝送損失が驚異的に少ないファイバを発表した。続いて1974年、ベル研究所が京都で開かれた国際ガラス会議において、伝送損失4dB/kmというファイバを発表。ここで光ファイバの実用化への道が一気に現実味を帯びてくる。 フジクラにおいても研究員を一気に増員、通信事業部の研究開発費を集中するなどの大胆なシフトが行われる。そしてその研究体制と成果が認められ、日本電信電話公社(現NTT)との共同研究に、電線大手メーカー各社とともに参加。「ライバルには絶対負けない!」……この闘争心が研究開発チームの何よりのモチベーションとなる。 MCVD 1 2 3 4 5