株式会社フジクラ

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FUJIKURA ODYSSEY
FUJIKURA ODYSSEY vol.02

世界No.1シェア

デファクトスタンダード “光ファイバ融着機” 開発物語

Phase.1 先見の明

今や世界シェアNo.1。デファクトスタンダードとも言える座を維持するフジクラの融着機事業。しかしながら、その発端は苦境の連続だった。

世界各国で幅広く活用され、名実ともに世界標準と言える製品となったフジクラの「光ファイバ融着機」。光ファイバの高機能化ニーズとその接続に対する高品質化ニーズにより、さらなる技術進化を求められ、今やビジネスとしての可能性も大きな広がりを見せている。現在、フジクラの融着機事業は、世界60カ国に戦略パートナーとしての代理店を擁し、きめ細かな販売&アフターサービス網を確立している。また、技術進化において他社の追随を許さない研究開発体制、コストパフォーマンスを極める製造ライン、そしてマーケティング戦略を支える営業体制を常に強化し、トップメーカーとしての地位を維持。全世界マーケットを対象に、開発・製造・営業が三位一体で動く、ダイナミックなビジネスを展開している。今でこそ圧倒的な強みを発揮している融着機事業であるが、その開発プロジェクトの発端は苦難の連続だった。

そもそも光ファイバが登場した時は、軽い、伝送容量が大きい、損失が少ないから遠くまで届く……という夢の伝送機と思われたが、最大の問題があった。それは光ファイバ同士の接続の難しさである。しかしながらフジクラは、この問題にビジネスチャンスを見いだす。「この問題の解決こそ、大きなビジネスになる!」この着想が、その後の研究開発のモチベーションとなっていく。着想は良かったが、その具現化はひと筋縄ではいかなかった。研究陣容もわずか3名でのスタート。1976年のことである。

開発1号機「FR-1」
開発1号機「FR-1」
当時、光ファイバの開発自体もまだ試行錯誤の最中で、不安定な構造および強度不足に加え、伝送損失を測る解析手段もなかった。泥臭い実験の連続。先が見えない不安。ブレークスルーの方法がわからない。募る焦燥感。八方塞がりの状況の中で、なんとか光明が見え始めたのは翌年、光ファイバ自体の構造が安定し、強度が格段に高まってきてから。方式としては、精密のV溝上に光ファイバを置き、マッチングオイルを垂らして押さえつける「V溝法」と、光ファイバを空中に置き、アーク放電で熱融着させる「融着法」の2つで実験が進められたが、その優れた特性と作業性により、開発の流れは一気に「融着法」へ。かくして1977年10月、実用型マルチモード用融着機の1号機が完成する。 そして、この機械を1979年、ワシントンで開かれた光シンポジウムの併設展示会に出展する。展示場の片隅のほんの小さなスペースだったが、黒山の人だかりで大きな脚光を浴びる。この時期はまだ需要がなく、ビジネスにはならなかった。しかし、後の快進撃につながる世界デビューにして、世界シェアNo.1への先鞭をつけるエポックとなったのである。

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