株式会社フジクラ

ESG

フジクラグループのCSR

会社概要

会社概要

当社グループの会社概要は、下記をご参照ください。

沿革

 当社グループの沿革は、下記をご参照ください。

グループのブランドロゴ

 私たちのブランドロゴの歴史は、藤倉電線護謨合名会社から藤倉電線株式会社に改組した1910年に制定し、使用を始めました。100年以上も前のことです。その後、創業100周年の1985年にこれまでの社章を改めて新社章を制定しました。それから25年を経た2009年に現在のブランドロゴ(登録商標)を制定し、まず当社で使用を開始し、2011年3月より国内は連結子会社、海外では100%出資比率のグループ会社へ拡大をしています。
 当社グループの「ブランドロゴ(登録商標)」は、私たちのブランドイメージを伝える最も基本的かつ重要な要素で、①コーポレートシンボル、②専用書体「Fujikura」、③コーポレートカラーの3つの要素からなっています。私たちの「ブランドロゴ」は、お客様や社会に対する信頼の証(あかし)として、またグループの求心力として、当社グループを表す象徴的な役割を担っているとても重要なものと捉えています。
 当社グループは、世界の多くの国と地域で事業展開を進めています。グローバル市場において、戦略的に事業展開を進めるためにもブランドロゴの整備を進めていて、現在、私たちがブランドロゴを登録並びに申請をしている国の数は150を超えています。

フジクラグループブランドロゴ

フジクラグループブランドロゴ

フジクラグループ・ブランドロゴ方針(2011年3月制定)

 フジクラグループは、グローバルな事業展開を戦略的に進めるため世界統一のブランドロゴを定めます。

事業紹介

 当社グループは、3つのカンパニーでグローバルに事業展開しています。

業界団体とのかかわり

主な参加団体 業界団体の概要
一般社団法人
日本経済団体連合会(経団連)
経団連は、わが国の代表的な企業1,412社、製造業やサービス業等の主要な業種別全国団体109団体、地方別経済団体47団体などから構成されています(いずれも2019年4月1日現在)。 総合経済団体として、企業と企業を支える個人や地域の活力を引き出し、わが国経済の自律的な発展と国民生活の向上に寄与しています。
一般社団法人
日本電線工業会(JCMA)
日本電線工業会は、わが国の電線工業の健全なる発展を図り、日本経済の発展と国民生活の向上に寄与している業界団体です。
一般社団法人
電線総合技術センター(JECTEC)
電線総合技術センターは、電線・ケーブルの安全性・信頼性に関する試験、検査認証及び研究、被覆材料のリサイクル技術開発を中心とした研究、海外研修を含めた技術分野における人材育成、情報交流やデータベースの整備活用等に取り組んでいます。
一般社団法人
電子情報技術産業協会(JEITA)
電子情報技術産業協会は、電子機器、電子部品の健全な生産、貿易及び消費の増進を図り、電子情報技術産業の総合的な発展を通して、わが国経済の発展と文化の興隆に寄与している業界団体です。
一般財団法人
光産業技術振興協会(OITDA)
光産業技術振興協会は、光産業の総合的育成、振興を図るとともに、関連産業の高度化と国民生活の向上を通してわが国経済社会の発展に寄与しています。
一般社団法人
東京都江東産業連盟
東京都江東産業連盟は、江東区並びに関係諸団体と連携して江東区の発展に寄与しています。
通信電線線材協会 通信電線線材協会は、会員相互の協力により通信電線線材工業の健全な発達を図り、広く電気通信の発展を通じて、公共の福祉の増進と会員の繁栄を招来することに寄与しています。
※ 2016年度 社長伊藤雅彦が会長に就任

社外評価

FTSE4GOOD Global Index(2016年6月より継続)
FTSE Blossom Japan Index(2017年6月より継続)
※年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)ESG指数
S&P/JPX カーボン・エフィシェント指数
※年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)ESG指数
Morningstar Socially Responsible Investment Index(2016年1月より継続)
※モーニングスター社会的責任投資株価指数構成銘柄
経済団体連合会の社会貢献活動団体「1%クラブ」に正式加入(2017年7月)
日経「SDGs経営」調査2020
総合評価3.5
CDP 気候変動スコア A-(2019年)

生きた創業の記念物・珊瑚樹

 1881年、創業者・藤倉善八は相次ぐ事業の失敗から新規蒔き直しをかけて神田淡路町に転居しました。その住居は由緒ある賀来神社(かくじんじゃ)の境内の横にありました。藤倉善八は、当時ご神木とされていた境内にある珊瑚樹を朝な夕な大切にお世話をしました。そのためか事業はトントン拍子に成功し1885年から始めた電線事業も日に日に隆盛となりました。藤倉善八が亡くなったあと、社員達は生きた「創業の記念物」としてこの珊瑚樹を貰い受け、社員の手で今日まで大切にしてきました。その間、関東大震災(1923年)、東京大空襲(1945年)と2回の火災に遭い焼けましたがそのたびに焼けた樹の根っこから新しい芽を吹き樹は蘇りました。それは工場の再建に奔走する社員の心の大きな支えとなりました。

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