CSRトップページ
CSR統合報告書(HTML)
編集にあたって
トップメッセージ
特集1
特集2
組織統治
公正な事業慣行
環境
消費者課題
人権、労働慣行
コミュニティへの参画及びコミュニティの発展
第三者意見、ご意見を受けて
データ集・対照表

CSR

CSR統合報告書

フジクラグループCSR統合報告書2014
〔ISO26000 中核主題〕 コミュニティへの参画及びコミュニティの発展

社会貢献活動

当社グループの社会貢献活動の考え方

当社グループの社会貢献活動は、グループ経営理念MVCVである『フジクラグループは“つなぐ”テクノロジーを通じ顧客の価値創造と社会に貢献する』及びグループのCSR基本方針の中の『社員一人ひとりが「社会」の一員として自分達の役割を自覚し、社会的良識をもって行動します』を以って、その基軸としています。また、活動するにあたっては、グループのCSR活動指針の『各国・各地域の文化や慣習を尊重し、積極的に社会貢献活動を行います』と定めています。私たちが取り組む社会貢献活動についての考え方は、これらをベースとしています。

私たちの社会貢献活動は、1919年に当社の元監査役・中内春吉が私財をもって知的障がい者教育施設「藤倉学園」を創設したときに始まりました。私たちは、この時から会社と個人の両方の立場で「藤倉学園」を支援するとともに、企業として「社会」との係わり方を時代の変遷と共に、見つめ、実践して今日に至っています。私たちの社会貢献活動の歴史は「藤倉学園」の創設から数えて90年以上が経過しました。私たちは、この「藤倉学園」への支援を当社グループの“社会貢献活動の原点”として、これからも大切に守っていきたいと考えています。

2013年度の当社グループの社会貢献活動は、グループ全体で約290件の活動がありました。

「フジクラグループ社会貢献基本方針」制定

当社グループの社会貢献活動の歴史は、元監査役・中内春吉が私財を投じて知的障がい者のための施設「藤倉学園」を創設した1919年に始まりました。以来、幾多の先人達により、学園の支援にとどまらず、社会貢献のさまざまな活動が行なわれ、それは当社グループのDNAの一つともなって今日まで大切に受けつがれています。フジクラグループCSR委員会は、社員が、地域コミュニティと連携した社会貢献活動等を積極的に進めていく上で活動がし易いように「フジクラグループ社会貢献基本方針」を制定しました。

フジクラグループ社会貢献基本方針

フジクラグループは、企業理念に基づき、社会のニーズと信頼に応え、豊かな生活とより良い社会の実現に向け、社会貢献活動を積極的に推進します。

数字でわかるグループのCSR活動(社会貢献・地域貢献)

当社グループの5年間の活動の集約として2013年度のCSR活動全体を“わかりやすい数字”で、ステークホルダーの皆様へお伝えする取り組みをスタートしました。この数字でわかる社会貢献・地域貢献活動は以下の通りです。集約したグループ会社の数は主要な48社です。(対象会社は、「5-4.CSR活動の推進」をご参照下さい。)

フジクラグループの社会貢献・地域貢献の活動

社会貢献の流れ ~「藤倉学園」の創設から「フジクラ 木場千年の森」まで~

私たちの先人が、東京の木場の地に工場建設の槌音を響かせたのは1919年のことです。以来、私たちは木場の地域の皆様と共に生き、ともに90有余年の歴史を刻んできました。そして、2010年11月、木場にあった旧深川工場跡地の再開発の完成にあわせて、生物多様性の確保及び地域コミュニティとの連携の2つの面から、私たちは水辺が広がる木場の街にふさわしいビオトープとガーデンの2つ機能を持つ「フジクラ 木場千年の森」を創設しました。

社史をたどりますと、1885年の創業にはじまり、その後の基礎確立期から今日に至るまで、私たちは、“お客様を大切にし「社会」と共に生きていく”ことを企業文化として育み、護り、そして今日まで社員一人ひとりの心に受け継がれてきました。現在、当社グループは、グローバル化の最中にあります。さまざまな国と地域の人々とのかかわりの中で、その地域の皆様と共に生き、その地域社会に貢献するという私たちの企業文化はそこでもしっかりと息づいています。

それでは時間をさかのぼって、藤倉学園の創設など私たちの先人達が、個人として、また企業として行なってきた社会貢献の活動を、120有余年の社史の流れの中からご紹介します。

西暦 (和暦) 貢献の内容  
1916年 (大正5年) 岡田顕三(元常務)/私的な学資支援を始める
詳細①
1919年 (大正8年) 中内春吉(創業者の実弟、元監査役)/大島に「藤倉学園」を創設
詳細②
1929年 (昭和4年) 松本留吉(初代社長)/ハンセン病患者のための新「草津聖バルナバ医院」を寄贈
詳細③
1935年 (昭和10年) 松本留吉(初代社長)/「二宮文庫」(現 栃木県立図書館)開設にあたり塙保己一著「群書類従」全530冊を寄贈
詳細④
1936年 (昭和11年) 松本留吉(初代社長)/「理化学研究所」へ研究助成で研究資金を寄付 詳細⑤
1938年 (昭和13年) 松本留吉(初代社長)/伊豆大島に「大島測候所」を寄贈
詳細⑥
1939年 (昭和14年) 松本留吉・藤倉各社/研究開発及び研究助成のため「藤倉研究所」(現 「フジクラ財団」)」を創設 詳細⑦
1965年 (昭和40年) 戦前からの育英事業を「フジクラ育英会」として再興 詳細⑧
2010年 (平成22年) 地域コミュニティと生物多様性確保のため「フジクラ 木場千年の森」を創設
詳細⑨

①1916年(大正5年) 岡田顕三(元常務)/私的な学資支援を始める

岡田顕三(元常務)は、1916年(大正5年)、東京府立第一中学校(現 日比谷高校)に川田正澄校長を訪ね、「学費に困っている学生があったら知らせてほしい」と申し出ました。川田校長推薦の学生には無条件で返済義務を負わせない学費を提供しました。岡田顕三43歳の時です。

優れた才能を持ちながら学費が乏しいために就学をあきらめなければならないような不遇な学生に何の条件もつけずその学生が学業を終えるまで月々一定の学資を提供して多くの俊才を育成した岡田の唯一の条件は、「決して世間には漏らしてはならぬ。わしが死んだ時には、皆、集まってくれ。」でした。また、それら学生が帰省するときには多忙の中、夫婦で東京駅まで見送り、餞別や土産を贈り、また慶弔でも親身になって対応しました。支援した学生の数は10数名で、後に学生達は「朱雀会」を作り、感謝の気持ちを表しました。

②1919年(大正8年) 中内春吉(創業者の実弟、元監査役)/大島に「藤倉学園」を創設

中内春吉(創業者の実弟、元監査役、事業家)は、慈善の心があつかった亡母の遺訓を忘れることなく長年大切にしてきました。それを記念事業にしようと私財23万円(現在に換算すると20億円程)と伊豆大島にある4万坪の土地と建物などを寄付し、それを社会事業家・川田貞治郎氏に託して伊豆大島に知的障がいのある子供達のための施設「藤倉学園」を1919年(大正8年)6月7日に創設しました。以降、当社の歴代の社長及び役員は学園の経営を支援すると共に多くの社員が給料の中から学園への寄付を行なってきました。

③1929年(昭和4年) 松本留吉(初代社長)/ハンセン病患者のための新「草津聖バルナバ医院」寄贈

還暦を迎えた松本留吉(初代社長)は、社会貢献となる事を探していました。親しくしていた同郷の宮内省次官・関屋貞三郎邸を訪ねた時、衣子夫人より、ハンセン病救済事業に捧げた英国人宣教師コンウォール・リー女史の病院再建のお話を聞き、その場で寄付(草津に新病院の建築と医師の派遣)を申し出ます。松本留吉は、寄付の申し出と同時に「この寄付は覆面のままで、夫人の名前にしてほしい。」と語りました。松本留吉は、病院の建築費7万円と10年間分の医師の費用3万円の合計10万円(現在に換算して3億円程)を寄付します。1929年(昭和4年)11月、新「草津聖バルナバ医院」が開業する。松本留吉の寄付によって一新された聖バルナバ病院は、主にハンセン病を対象とするものとしては、当時、例を見ない充実した施設でした。現在、この病院は残っていません。

④1935年(昭和10年) 松本留吉(初代社長)/「二宮文庫」(現 栃木県立図書館)の開設にあたり、塙保己一著「群書類従」全530冊を寄贈

1935年(昭和10年)、松本留吉(初代社長)は、座右の書として愛読し、家宝としていた江戸時代の国学者・塙 保己一(はなわ ほきのいち)の著で貴重な歴史書である「群書類従」(ぐんしょるいじゅう)全530冊を「二宮文庫」(現 栃木県立図書館)の開館にあわせて寄贈しました。「二宮文庫」は松本留吉の郷里である栃木県で二宮尊徳没後50年記念に設立されました。栃木県立図書館には今もこの和綴じの全巻が大切に保管されています。

⑤1936年(昭和11年) 松本留吉(初代社長)/「理化学研究所」へ研究助成で研究資金を寄付

松本留吉(初代社長)は、1936年(昭和11年)、「(財)理化学研究所」の2つの研究テーマ(「石炭液化プラント」及び「稀有金属探査研究」)に対して、当時の金額で51万円5千円を研究助成の目的で寄付を行いました。

⑥1938年(昭和13年) 松本留吉(初代社長)/伊豆大島に「大島測候所」を寄贈

松本留吉(初代社長)は、当時の東京湾汽船社長の援助要請を受けて各分野の研究者の意見を聞いた上で、伊豆大島の「大島測候所」の建設は国家的に重要であるとして寄付すること決めました。寄付の理由は、①台風などへの備えとして東京湾頭の大島の気象観測は東京都民に有益である、②年間10数万人の観光客が訪れる大島の航行・登山の安全のため、などです。松本留吉は、総費用の18万円の全額を寄付しようとしますが、東京湾汽船が1万2千円、その他も出すことになり、最終的には15万円の寄付を行いました。松本留吉は、その完成を見ることなく1938年(昭和13年)3月に逝去しますが、その後、継嗣・松本新太(2代社長)が建設を受け継ぎ完成させました。1938年(昭和13年)7月に政府へ献納手続きを終え、中央気象台に全てを引渡しました。元町に建設され大島測候所は、本館、博物館、山上観測所、検潮所、観測船等からなります。現在は無人化されていて、合同庁舎内に移っていましたが2009年10月からは「大島特別地域気象観測所」となり、事務所も町役場内に移っています。

⑦1939年(昭和14年) 松本留吉・藤倉各社/研究開発及び研究助成のため「藤倉研究所」(現在、「フジクラ財団」となる)」を創設

松本留吉は、「藤倉研究所」の創設のために10万円を寄付し、それに藤倉電線・藤倉工業・藤倉化学工業の3社の寄付110万円を加え設立準備を進めていました。その途中で松本留吉は逝去し、松本新太(2代社長)が受け継ぎ、1939年(昭和14年)4月に「(財)藤倉研究所」が創設されました。当研究所の目的は、研究開発と研究者への研究費の助成を行なうことでした。場所は、埼玉県与野の日本信号(株)の敷地を借りて発足しました。

⑧1965年(昭和40年) 戦前からの育英事業を「フジクラ育英会」として再興

初代社長・松本留吉の時代から育英事業を起こし広く人材育成の支援を行ってきました。その後、戦後の情勢が安定した1965年(昭和40年)に「フジクラ育英会」として再興しました。この「フジクラ育英会」の事業は、社会報顧の精神から行われ、社会各界に必要な人材育成をその趣意としています。現在、支援を受けた学生は500人を超え、各界で活躍しています。

⑨2010年(平成22年) 地域コミュニティと生物多様性確保のため「フジクラ 木場千年の森」を創設

地球温暖化等により絶滅種の増加が大きな問題となっています。当社グループは、第3の創業の記念事業として、工場跡地の再開発事業地(深川ギャザリア)の一角に、都心には少ない自然と触れ合えるビオトープ「フジクラ 木場千年の森」を2010年(平成22年)11月に創設しました。ここは、自然の生きものたちを守る「ビオトープ」(野生生物が生息している空間を意味するドイツ語)と、地域の方が憩いまた未来を担う子供たちの自然・環境教育に役立つ「ガーデン」の両方の機能を備えています。園内には池や小川があり、在来種の樹木や魚を配して、かつてこの地域に存在していた関東沿岸部の武蔵野の自然の再現を目指しています。時間とともに豊かな生態系がはぐくまれ、この「フジクラ 木場千年の森」が、生きものたちにとって大きく豊かな森となり、それがはるか一千年先の未来へと続くように、私たちは心から願っています。

主な活動

「藤倉学園」とのかかわり

社会福祉法人「藤倉学園」は、90年以上前の1919年6月7日に創業者・藤倉善八の実弟・中内春吉(元監査役)が、知的障がい者・児童のために多額の私財(現在に換算すると約20億円)と伊豆大島の土地4万坪、学園の土地・建物を寄贈し、伊豆大島元町に創設されました。現在、伊豆大島と多摩(八王子市)にその施設があり、約130人の園生に100名程の職員が24時間体制で教育・厚生を行っています。私たちは、創設以来、歴代社長や役員が理事として経営を支援し、また会社の寄付と共に社員個人からの寄付を今日まで続けてきました。私たちは、「藤倉学園」への支援活動を社会貢献の"原点"として今日まで、またこれからも大切に守っていきたいと考えています。2013年度は、新入社員の一日ボランティアや藤倉学園製品の即売会、土石流被災した大島へのボランティア活動や寄付などを行いました。

藤倉学園創設者 中内春吉

藤倉学園創設者 中内春吉

社会福祉法人藤倉学園

創設 1919年(大正8年)6月7日
理事長 川田仁子
事業内容 大島藤倉学園
多摩藤倉学園
園生数 約130名

大島藤倉学園建物

大島藤倉学園建物

藤倉学園製品の即売会

6月と12月の藤倉学園賛助会加入促進月間にあわせて、藤倉学園製品の即売会を開催しています。今年で3年目です。伊豆大島にある「藤倉学園」の園生の自立支援施設「フジカフェ」で作られたマドレーヌ、クッキー、パウンドケーキなどを販売しました。

藤倉学園製品即売会

新入社員一日ボランティア

今年も新入社員全員で「多摩藤倉学園」(東京都八王子市)での一日ボランティア活動を行いました。「藤倉学園」への支援は、1919年の創設以来90年以上にわたって先人たちが続けてきた私たちの社会貢献活動です。私たちの良き伝統を新入社員も体験を通して学びました。

大島土石流被災とボランティア活動

2013年10月、私たちが支援をしている「大島藤倉学園」のある伊豆大島を台風26号が襲いました。未曾有の豪雨で三原山山腹から続く丘陵地の神達地区など、元町港へと続く一帯が大量の土石流に飲み込まれました。幸いにも「大島藤倉学園」は、同じ元町地区でも少し離れていたために直接の被害はありませんでした。自衛隊の昼夜の復旧作業と共に、社会人や学生など多くのボランティアが大島を救えと救援活動、復旧活動を行いました。その中に当社社員もボランティア活動に参加し、土砂のかき出し等の作業を行ないました。

藤倉学園を応援する自動販売機設置

当社本社や各事業所に、私たちが社会貢献活動の原点として支援している知的障がい者施設「藤倉学園」を応援する自動販売機が設置されました。この自動販売機には、「フジクラグループは、藤倉学園を支援しています」の大きな文字と「この自動販売機の売上の一部は藤倉学園に寄付されます」とイラストと共に印刷されています。そのシステムは、私たちがこの自動販売機で飲み物を買うと、その売上金額の一部が藤倉学園に寄付されます。この自動販売機の設置は、サッポロビールの系列企業である「ポッカサッポロフード&ビバレッジ(株)」殿との共創によって実現したものです。

TABLE FOR TWO(テーブル・フォー・トゥ)

2014年1月、当社の本社食堂でTFTヘルシーランチの販売を始めました。TFTは、「TABLE FOR TWO(テーブル・フォー・トゥ)」の略称で、飢餓や栄養不足に悩む途上国と肥満や生活習慣病に悩む先進国のそれぞれの社会的問題を同時に解消しようとするNPOテーブル・フォー・トゥ・インターナショナルが取り組む社会貢献活動です。当社の社員が、TFTヘルシーランチを購入すると、1食につき20円が当社から寄付されて途上国の子供の学校給食費に充てられます。20円という金額は、途上国の学校給食1食分の金額にあたります。当社社員が1食たべるごとに途上国の子供達に給食1食がプレゼントされる仕組みです。

私たちのこの国際的な社会貢献活動を通して、途上国の子供たちに笑顔を贈り、私たちには健康がプレゼントされる、笑顔と健康のプレゼント交換です。

「フジクラ財団」とのかかわり

当社グループは、科学技術分野の研究者への助成活動を続ける「フジクラ財団」を支援しています。公益財団法人「フジクラ財団」は、70年程前の1939年6月に当社2代目社長・松本新太により財団法人「藤倉研究所」として設立されました。その設立資金は、当社初代社長・松本留吉からの寄付金10万円です。これに藤倉電線(現フジクラ)及び藤倉工業(現 藤倉ゴム工業及び藤倉化成)からの寄付金110万円が加わりました。

その後、1946年に名称を財団法人「新生資源協会」と改称し、1962年にはその事業の中心を科学者や技術者への研究助成としています。財団法人「新生資源協会」は、2011年4月1日に公益財団法人となり、2012年11月1日、その名称を「フジクラ財団」に変更しています。

「フジクラ 木場千年の森」を地域に開放

東京の都心に位置する「深川ギャザリア」内に創られた「フジクラ 木場千年の森」(「千年の森」と略す)は、2010年11月に東京・木場のフジクラ本社横に創設されたビオトープとガーデンの両方の機能を持つ地域コミュニティのための自然空間です。「千年の森」の創設のきっかけは、地元の学校や住民からの緑化への要望でした。また、この年は地球上の生物の絶滅の増大が問題となり、生物多様性への取組みが世界中で高まった年でもあります。この「千年の森」は、広さ2200m2、2つの池とそれを繋ぐ小川、浮島、遊歩道などがあり、生きものたちが優先される空間として、また数百年前の武蔵野台地の豊かな森や林を再現しています。私たちは、地域の皆様と共に四季折々のこの豊かな自然を末永く護っていくことを願って「フジクラ 木場千年の森」と命名しました。

2013年度は、小学校の自然教育活動や地元自治体の在来種植栽普及への取り組みへの協力、各自治体や企業、大学生の研究・見学等でご活用頂きました。また年2回開催の「ビオトープ説明会」では親子など地域の皆様が数多く来場されました。この「千年の森」の来場者は、1日平均100名程で、年間では3万人程が来園しています。

【開園の時間】 ※入場は無料
4月~9月 7:00~18:00
10月~3月 7:00~17:00
【場所】 江東区木場一丁目 深川ギャザリア内

「フジクラ 木場千年の森」の正面入り口

「フジクラ 木場千年の森」の正面入り口

多くの見学者が来園

多くの見学者が来園

スポーツ活動への支援活動

当社グループは、地域コミュニティへの参画と発展を支援する目的で、地域のモータースポーツへの協賛やモータースポーツ活性化のために組織された団体への参加、またモータースポーツ市民の会が主催するシティマラソンへの協賛等を行なっています。

スポーツ支援