株式会社フジクラ

R&D
FUJIKURA ODYSSEY
FUJIKURA ODYSSEY vol.05

超電導革命

世界に先駆ける“イットリウム系酸化物超電導線”開発物語

Phase.1 超電導の歴史

1987年、フジクラの超電導開発は、超電導電流わずか数Aレベルからの出発だった。

1911年、オランダのカメリン・オンネス(Kamerlingh Onnes)が当時初めて液化に成功した液体ヘリウムを使って水銀の電気抵抗を測定していたとき、たまたま-269℃(4.2K)で突然電気抵抗がゼロになる現象を発見した。これが超電導現象の発見である。画期的な発見であったにもかかわらず、その後、実用化への成果はみられず、1960年代になってから、ようやくNb-Sn、Nb-Zr、Nb-Ti等の超電導材料を線材に加工する試みが始まる。超電導線の最大の特長は電気抵抗無しに大電流を流すこと。ここに着目して、まずは「強力なマグネット」実現へのアプローチが行われる。

続くエポックは、1986年の酸化物超電導体の発見。その発端は、IBMチューリッヒ研究所のミューラーとベドノルツによる「チタン酸ストロンチウム」の研究だった。この物質は強誘電体として良く知られている絶縁体であるが、La-Ba-Cu-O(ペロブスカイト系)で30K付近から抵抗が減少し、10K以下でゼロ抵抗になるように見えた。彼らはドイツの会議でこの結果を発表したが、誰にも評価されることはなかった。1986年4月、ベドノルツとミューラーはとりあえずZeitschrift fur Physikというドイツの雑誌に論文を投稿する。この論文が公表された後、少なくとも世界の数カ所で結果の追試が行われた。このうち東京大学の田中グループはこの物質の結晶構造の同定とマイスナー効果を確認。誰もが間違いないと確信できるレベルでLa-Ba-Cu-O系で超電導が起こっていることを証明する。田中研において超電導の存在が判明したのは1986年11月13日。そして12月5日にボストンの材料研究学会においてこの結果が発表されると、世界中が驚き、その後数年間にわたり高温超電導探索のフィーバーが続く。1987年2月には、90K級で転移するY-Ba-Cu-O(Y系超電導体)のを発見。短期間のうちに臨界温度(Tc)が60Kも高められたことになる。その後も超電導転移温度は次々と塗り替えられ、2004年現在、水銀系銅酸化物において高圧下での転移温度は「160ケルビン」。これが最高記録である。

1987年2月 YBa2Cu3Ox超電導体(臨界温度90K)の発見により臨界温度がはじめて液体窒素温度(77K)を超える。また、同年にはBiSrCaCuO系超電導体が発見され、さらにはYBaCuO超電導体で、多くの研究機関が単結晶基板上で実用的なレベルである100万A/㎠の臨界電流密度を達成する。この時期、フジクラも超電導線の開発にトライ。ステンレス管にYBCO超電導粉を入れて焼結した1mm径の線材としたのが最初だった。 ただし液体窒素中での超電導電流は、わずか数Aレベルであった。

  • 最初のY-123線材
    最初のY-123線材

  • Agシース線材(1.5mm)のJc特性
    Agシース線材(1.5mm)のJc特性

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