株式会社フジクラ

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FUJIKURA ODYSSEY
FUJIKURA ODYSSEY vol.04

テクノロジー小宇宙

電子機器の進化の鍵を握る“FPC(フレキシブルプリント回路)”開発物語

Phase.3 開発のドラマ

問題山積の日々の中で開発陣のモチベーションとなったのは何か?それは、ずばり「いつか電子材料をフジクラのコアビジネスに!」という信念だった。

フジクラがFPCの初受注をしたのは、大手カメラメーカから。プリンタのヘッドに組み込まれるFPCだった。まず設計図を受け取り、試行錯誤しながら試作品を完成。しかしながらそれは、客先の技術者を仰天させるものだった。客先設計とは全く異なる試作品を納品してしまったのである。それは「両面露出タイプのFPC」という要求に対して「片面ファインのFPC」という大いなる勘違い。設計図面さえも読めない……そんなレベルからのスタートだったのだ。その後の試作アプローチにおいても、数々の伝説的失敗エピソードを重ねていくことになる。問題山積の日々の中で、開発陣のモチベーションになったのは何か?それはずばり「いつか電子材料をフジクラのコアビジネスに!」という信念だった。

佐倉工場の一角に囲いをして、そこを拠点としFPCプロジェクトは、職場環境こそ恵まれなかったが、技術的には着実に成果を上げていく。しかしながら採算という面では、苦戦続き。1億円売り上げるごとに同じくらいの赤字が出るという状況だった。歩留まりが悪く、コストがかさみ、悪循環の中で、次第に社内の風当たりが強くなっていった。FPCをもじり、「フラフラ・プラプラ・クラブ」と揶揄された。

1993年の転機となった携帯電話用モジュール
1993年の転機となった
携帯電話用モジュール
起死回生の実績は、ある携帯電話メーカの新型機種に組み込まれるFPCの大量受注。2年におよぶ積極果敢な営業活動が、ある日、シンガポールの実装機器メーカからの引き合いに結実する。まずはフジクラ製FPCのサンプルを出荷し、それが評価され、さらには実装を含めた量産受注へ。それまでの数々の試行錯誤とクレーム対応の中で、営業も開発も製造も、知識を積み上げ、技術を磨き、コストパフォーマンスを高める「術」を着実に身につけていたのである。それが一気に花開き、結実するときがきたのだ。この取引は、最終的に400万ピースのビッグビジネスに発展する。1993年の実績で、この1社から年間80億円もの売上を計上。折しもフジクラはタイにFPCの専門工場PCTTを展開中で、それが量産の受け皿となり、携帯電話メーカ各社への横展開へ。さらなるビッグビジネスにつながっていく。

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