株式会社フジクラ

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先哲の室 ~フジクラの歴史~

1973年

石油危機と低成長時代

1973年(昭和48)10月、第4次中東戦争が勃発。アラブ産油国は日本を含む非友好国には石油供給を削減する。その後の狂乱物価は沈静化したが、景気は落ち込み、電線業界にも大きな影響を与えた。原材料難と価格暴落、電力使用制限など生産環境が激変し、電線需要も急減した。木野新社長は1974年(昭和49)年頭に非常事態宣言を行い、経費節減などの対策を示した。当社も輸出拡大を図る一方、電線周辺での事業拡大を図るために「機器電材」「海外」の2事業部を新設した。

五反田藤倉ビル

五反田藤倉ビル
五反田藤倉ビル

1977年(昭和52)10月、本社事務所を霞が関ビルから五反田藤倉ビル(地上9階、地下1階)に移転した。当初は貸しビル用としての建築であったが、折からの不況により、期待していたテナントが見つからず、当社自ら本社事務所として使用することとなった。

光ファイバの開発

1970年(昭和45)から光ファイバの取り組みを進めていた当社は、1975年(昭和50)より電電公社と共同開発を行い、1976年(昭和51)にはMCVD法により極低損失ファイバを開発し、長波長側に超低損失領域があることを発見(IEEの論文賞受賞)した。また、1980年(昭和55年)には極低OHファイバを国産自主技術であるVAD法により世界に先駆け開発をし、その広い低損失領域の実現により、現在の波長多重通信へとつながった。

VAD法による光母材製造
VAD法による
光母材製造

VAD法による極低OH基(1ppb以下)ファイバの開発(波長1.0?1.8μmで1dB/km以下)
VAD法による極低OH基
(1ppb以下)ファイバの開発
(波長1.0?1.8μmで1dB/km以下)

光ファイバでIEE論文賞を受賞
光ファイバでIEE論文賞
を受賞

フジクラタイランド社設立

フジクラタイランド社
フジクラタイランド社

1984年(昭和59)8月、タイにフジクラタイランド社を設立した。フジクラタイランド社はタイ現地法人の第一号の会社である。翌1985年(昭和60)のプラザ合意による円高基調の追い風と外資中心の投資ブームの波に乗り、メリットを享受した。また、電子材料や光関連部品への生産シフトで急成長を遂げ、現在に至るまで、タイにおけるフジクラグループの中心的な存在である。

創業100周年事業

創業100周年を機に、電線にとらわれない企業イメージを作ろうと新呼称「フジクラ」を採用し、新社章を制定した。その他に100年史の刊行、新基本方針の制定を行う。

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