HOME 企業情報 社会貢献活動 100年以上続く社会貢献活動 100年以上続く社会貢献活動 企業データ 社長ご挨拶 会社概要 事業内容 役員一覧 ネットワーク 経営の考え方 経営理念 ビジョン ガバナンス 品質保証 方針・ポリシー一覧 先哲の室 CMギャラリー 社会貢献活動 企業データ 社長ご挨拶 会社概要 事業内容 役員一覧 ネットワーク 経営の考え方 経営理念 ビジョン ガバナンス 品質保証 方針・ポリシー一覧 先哲の室 CMギャラリー 社会貢献活動 企業情報トップ フジクラグループの社会貢献活動の考え方 フジクラグループの社会貢献活動は、グループ経営理念MVCV『フジクラグループは"つなぐ"テクノロジー™を通じ顧客の価値創造と社会に貢献する』およびグループのCSR基本方針の中の『社員一人ひとりが「社会」の一員として自分達の役割を自覚し、社会的良識をもって行動します』を基軸としています。また、活動するにあたっては、グループのCSR活動指針の『各国・各地域の文化や慣習を尊重し、積極的に社会貢献活動を行います』と定めています。私たちが取り組む社会貢献活動についての考え方は、これらをベースとしています。私たちの社会貢献活動は、1919年に当社の元監査役・中内春吉が私財をもって知的障がい者教育施設「藤倉学園」を創設したときに始まりました。私たちは、この時から会社と個人の両方の立場で「藤倉学園」を支援するとともに、フジクラグループのDNAの一つとして、企業と「社会」との関わり方を時代の変遷と共に、見つめ、実践して今日に至っています。私たちの社会貢献活動の歴史は「藤倉学園」の創設から数えて100年以上が経過しました。私たちは、この「藤倉学園」への支援をフジクラグループの"社会貢献活動の原点"として、これからも大切に守っていきたいと考えています。 「フジクラグループ社会貢献基本方針」 フジクラグループは、社員が、地域コミュニティと連携した社会貢献活動等を積極的に進めていくうえで活動がし易いように「フジクラグループ社会貢献基本方針」を制定しています。 フジクラグループ社会貢献基本方針 フジクラグループは、企業理念に基づき、社会のニーズと信頼に応え、豊かな生活とより良い社会の実現に向け、社会貢献活動を積極的に推進します。 【主な活動の分野】 「人」にやさしい活動 次世代を担う「青少年」を育む活動 「地域」と共生する活動 研究・学術振興の活動 環境保全の活動 社会貢献の歴史 私たちの先人が、東京都江東区木場の地に工場建設の槌音を響かせたのは1919年のことです。以来、私たちは木場の地域の皆様と共に100年以上の歴史を刻んできました。1885年の創業から今日に至るまで、私たちは"お客様を大切にし「社会」と共に生きていく"ことを企業文化として育み、護り、そして今日まで社員一人ひとりの心に受け継いできました。先人達が、個人として、また企業として行なってきた社会貢献の活動は現在も変わらず、企業文化として根づいています。 西暦(和暦) 貢献の内容 1916年(大正5年) 岡田顕三(元常務)/私的な学資支援を始める 岡田顕三(元常務)は、1916年(大正5年)、東京府立第一中学校(現 日比谷高校)に川田正澄校長を訪ね、「学費に困っている学生があったら知らせてほしい」と申し出ました。川田校長推薦の学生には無条件で返済義務を負わせない学費を提供しました。岡田顕三43歳の時です。 優れた才能を持ちながら学費が乏しいために就学をあきらめなければならないような不遇な学生に何の条件もつけずその学生が学業を終えるまで月々一定の学資を提供して多くの俊才を育成した岡田の唯一の条件は、「決して世間には漏らしてはならぬ。わしが死んだ時には、皆、集まってくれ。」でした。また、それら学生が帰省するときには多忙の中、夫婦で東京駅まで見送り、餞別や土産を贈り、また慶弔でも親身になって対応しました。支援した学生の数は10数名で、後に学生達は「朱雀会」を作り、感謝の気持ちを表しました。 1919年(大正8年) 中内春吉(創業者の実弟、元監査役)/大島に「藤倉学園」を創設 中内春吉(創業者の実弟、元監査役、事業家)は、慈善の心が厚かった亡母の遺訓を忘れることなく長年大切にしてきました。それを記念事業にしようと私財23万円(現在に換算すると20億円程)と伊豆大島にある4万坪の土地と建物などを寄付し、それを社会事業家・川田貞治郎氏に託して伊豆大島に知的障がいのある子供達のための施設「藤倉学園」を1919年(大正8年)6月7日に創設しました。以降、当社の歴代の社長および役員は学園の経営を支援すると共に多くの社員が給料の中から学園への寄付を行なってきました。 1929年(昭和4年) 松本留吉(初代社長)/ハンセン病患者のための新「草津聖バルナバ医院」を寄贈 還暦を迎えた松本留吉(初代社長)は、社会貢献となる事を探していました。親しくしていた同郷の宮内省次官・関屋貞三郎邸を訪ねた時、衣子夫人より、ハンセン病救済事業に捧げた英国人宣教師コンウォール・リー女史の病院再建のお話を聞き、その場で寄付(草津に新病院の建築と医師の派遣)を申し出ます。松本留吉は、寄付の申し出と同時に「この寄付は覆面のままで、夫人の名前にしてほしい。」と語りました。松本留吉は、病院の建築費7万円と10年間分の医師の費用3万円の合計10万円(現在に換算して3億円程)を寄付します。1929年(昭和4年)11月、新「草津聖バルナバ医院」が開業する。松本留吉の寄付によって一新された聖バルナバ病院は、主にハンセン病を対象とするものとしては、当時、例を見ない充実した施設でした。現在、この病院は残っていません。 1935年(昭和10年) 松本留吉(初代社長)/「二宮文庫」(現 栃木県立図書館)開設にあたり塙保己一著「群書類従」全530冊を寄贈 1935年(昭和10年)、松本留吉(初代社長)は、座右の書として愛読し、家宝としていた江戸時代の国学者・塙 保己一(はなわ ほきのいち)の著で貴重な歴史書である「群書類従」(ぐんしょるいじゅう)全530冊を「二宮文庫」(現 栃木県立図書館)の開館にあわせて寄贈しました。「二宮文庫」は松本留吉の郷里である栃木県で二宮尊徳没後50年記念に設立されました。栃木県立図書館には今もこの和綴じの全巻が大切に保管されています。 1936年(昭和11年) 松本留吉(初代社長)/「理化学研究所」へ研究助成で研究資金を寄付 松本留吉(初代社長)は、1936年(昭和11年)、「(財)理化学研究所」の2つの研究テーマ(「石炭液化プラント」および「稀有金属探査研究」)に対して、当時の金額で51万円5千円を研究助成の目的で寄付を行いました。 1938年(昭和13年) 松本留吉(初代社長)/伊豆大島に「大島測候所」を寄贈 松本留吉(初代社長)は、当時の東京湾汽船社長の援助要請を受けて各分野の研究者の意見を聞いたうえで、伊豆大島の「大島測候所」の建設は国家的に重要であるとして寄付することを決めました。寄付の理由は、①台風などへの備えとして東京湾頭の大島の気象観測は東京都民に有益である、②年間10数万人の観光客が訪れる大島の航行・登山の安全のため、などです。松本留吉は、総費用の18万円の全額を寄付しようとしますが、東京湾汽船が1万2千円、その他も出すことになり、最終的には15万円の寄付を行いました。松本留吉は、その完成を見ることなく1938年(昭和13年)3月に逝去しますが、その後、継嗣・松本新太(2代社長)が建設を受け継ぎ完成させました。1938年(昭和13年)7月に政府へ献納手続きを終え、中央気象台に全てを引渡しました。元町に建設され大島測候所は、本館、博物館、山上観測所、検潮所、観測船等からなります。現在は無人化されていて、合同庁舎内に移っていましたが2009年10月からは「大島特別地域気象観測所」となり、事務所も町役場内に移っています。 1939年(昭和14年) 松本留吉・藤倉各社/研究開発および研究助成のため「藤倉研究所」(現 「フジクラ財団」)」を創設 松本留吉は、「藤倉研究所」の創設のために10万円を寄付し、それに藤倉電線・藤倉工業・藤倉化学工業の3社の寄付110万円を加え設立準備を進めていました。その途中で松本留吉は逝去し、松本新太(2代社長)が受け継ぎ、1939年(昭和14年)4月に「(財)藤倉研究所」が創設されました。当研究所の目的は、研究開発と研究者への研究費の助成を行なうことでした。場所は、埼玉県与野(現 さいたま市)の日本信号(株)の敷地を借りて発足しました。 1965年(昭和40年) 戦前からの育英事業を「フジクラ育英会」として再興 初代社長・松本留吉の時代から育英事業を起こし広く人材育成の支援を行ってきました。その後、戦後の情勢が安定した1965年(昭和40年)に「フジクラ育英会」として再興しました。この「フジクラ育英会」の事業は、社会報顧の精神から行われ、社会各界に必要な人材育成をその趣意としています。現在、支援を受けた学生は500人を超え、各界で活躍しています。 2010年(平成22年) 地域コミュニティと生物多様性確保のため「フジクラ 木場千年の森」を創設 地球温暖化等により絶滅種の増加が大きな問題となっています。フジクラグループは、第3の創業の記念事業として、工場跡地の再開発事業地(深川ギャザリア)の一角に、都心には少ない自然と触れ合えるビオガーデン「フジクラ 木場千年の森」を2010年(平成22年)11月に創設しました。ここは、自然の生きものたちを守る「ビオトープ」(野生生物が生息している空間を意味するドイツ語)と、地域の方が憩いまた未来を担う子供たちの自然・環境教育に役立つ「ガーデン」の両方の機能を備えています。園内には池や小川があり、在来種の樹木や魚を配して、かつてこの地域に存在していた関東沿岸部の武蔵野の自然の再現を目指しています。時間とともに豊かな生態系がはぐくまれ、この「フジクラ 木場千年の森」が、生きものたちにとって大きく豊かな森となり、それがはるか一千年先の未来へと続くように、私たちは心から願っています。 HOME 企業情報 社会貢献活動 100年続く社会貢献